島田裕巳「葬式は、要らない」
人生の最期をどう迎えるか、それは人生の掉尾(とうび)を飾る仕事であり、自らの人生の総決算を行うということである。誰だって、死が近づいてくれば、それを恐れ、少しでも長く生きたいと考える。
だが、人生は有限で、いつか終わりを迎えなければならない。最期をどう生きたかは、葬式に反映され、故人を弔うためにその場に集まった人々に何らかのメッセージを残す。
その意味で、重要なことは、最期をいかに生ききるかに尽きる。残された人々に、本当にかけがえのない人を失ったという気持ちを起こさせるものであるなら、葬式の形式や内容は問題ではなくなる。
なかには、最期の準備をする間もなく、突然亡くなる人もいる。働き盛りで亡くなる人もいれば、まだ社会的には何ごともなさないまま若くして亡くなる人もいる。難病や事故や子どもが亡くなることもある。
そんな場合には、残された者は、ただただそれを悲しむしかない。その際には、いかなる葬儀も無力で、遺族や知人、友人を慰める役割を果たせない。遺族が深い悲しみにある状態のなかで、葬式をあげなければならないということ自体が、辛くて悲惨なことに思えてくる。
その意味では、大往生できるということは、本人にとっても、残される家族にとっても、一番の幸福であるとも言える。故人を弔うための場に集った人のなかに、故人はもう十分に生きたという思いが生まれるものであるなら、死をことさら悲しむ必要はないし、むしろ、故人が立派に生き抜いたことを素直に喜べばいい。そんな葬式なら無用とも言えない。
そこでは、涙と笑いが交錯することになる。どんな葬式でも、会葬者同士が久しぶりに再会する場面がよく起こる。故人の死が、長く離れていた生者の再会をとりもつことになる。それも故人の功徳であり、遺族や参列者はその恩恵を被ることができる。
一人の人間が生きたということは、さまざまな人間と関係を結んだということである。葬式には、その関係を再構築する機能がある。その機能が十分に発揮される葬式が、何よりも一番好ましい葬式なのかもしれない。そんな葬式なら、誰もがあげてみたいと思うに違いない。
最期まで生き切り、本人にも家族にも悔いを残さない。私たちが目指すのはそういう生き方であり、死に方である。それが実現されるなら、もう葬式がどのような形のものでも関係がない。生き方とその延長線上にある死に方が、自ずと葬式を無用なものにするのである。(幻冬舎 島田裕巳「葬式は、要らない」 より引用)
最近、書店でも平積みで良く目立つところに置かれているこちらの本、今年の1月に発売をされ、1ヶ月で22万部を発行し、現在さらに版を重ねているようです。主な購買層は30代から50代ということで、いわゆる「喪主世代」とのこと。皆さんの関心の高さが伺えます。
実際にこちらの本をお読みになって、葬儀のことやお墓のこと、お寺のことなどで、具体的に聞きたいことがあると、当センターにご連絡をくださった方も、多くいらっしゃいました。
「葬儀って、やっぱり、しなきゃいけないんですか? 高いお金、払わなきゃいけないんですか?」
このようなお声は、表題の本の発行ということに関係なく、普段からいただいておりますが、
そのようなご質問には常に
「ご要望しだいです」
とお応えをさせていただいております。
「しなければいけない」という義務は、あくまでも、法律で規定されている火葬手続きや、死亡診断書の届け、といったところまでしか当てはまらないものです。
それ以外の部分をどうするか。誰にお声がけをして、何を準備して、どこでどうようなお別れをするのか。それらは全て「通夜・告別式をせずに火葬のみでお別れをする」という選択肢も含めて、遺族の方が自由に決めて良いのです。(費用や地理的な制約は当然ございますが・・・)
個人的な考えになりますが、人は「義務」と思ってすることに対して満足を感じにくい生き物だと思います。
・家に安置をしなければならない
・お料理とお返しものを準備しなければならない
・親戚の泊り場所を手配しなければならない
・葬儀で近所の人を呼ばなければならない
・挨拶を考えなければならない
・戒名をつけなければならない
・かなりの出費を覚悟しなければならない
このように、「やらなければならないこと」として、葬儀に関する諸々の決め事を挙げていけばキリがなく、それを考え続けていくと、「やらなくても良いものなら、お葬式なんてしたくない」という気持ちになってしまうかもしれません。
しかし、これらのことを「義務」だと思わずに、一つ一つの意味を理解し、「自分達自身の選択」として捉えた場合には、心持ちが違ってくるのではないでしょうか。
・最期に、慣れ親しんだ家に帰してあげて、一晩一緒に過ごしたい
・来ていただいた方々を、お料理とお返しものでしっかりともてなしたい
・遠くから来る親戚の皆さんにゆっくり休める場所を提供したい
・お世話になった近所の方々とも一緒にお別れをしたい
・別れの挨拶で、しっかりと自分の想いを伝えたい
・故人の生前を偲ぶことのできるような、生き方を象徴するような戒名をいただきたい
・用意できる予算の範囲で、精一杯の準備をしたい
もちろん、全てを前向きに捉える必要もなく、人によって「これはしたくない/する必要がない」という事柄も出てくるとは思います。また、焦っている状況の中で、冷静に一つ一つのことを考えられない事情もあるでしょう。しかし、安易にお葬式そのものを否定する前に、お葬式の意味について前向きに考えることは、ご遺族の方にとって大事なことだと思います。
葬儀や仏事の一つ一つの決め事にはちゃんと意味があります。問題は、その意味や効用を納得した上で受け入れているのではなく、義務として受け入れている方が多いということではないでしょうか。
私たち葬儀サポートセンターや、葬儀をお手伝いする葬儀社、そして宗教関係者の皆さんには、「葬儀の意味」について、必要な時にそれをしっかりと説明する責任があると思います。
「葬儀は、要らない」という本がベストセラーになったことは、世の中の不景気や様々な要因が影響しているでしょうが、これまで多くの葬儀関係者が、葬儀そのものの意味や、葬儀で必要な手順や物事、一つ一つの意味を伝えることを怠り、人々に葬儀の価値を感じてもらえなかったことも、原因としてあるのではないでしょうか。
葬儀サポートセンターとしても、私たちなりに感じている葬儀の価値、より納得のできるお別れをするために大事なポイントなどを、できるだけ丁寧に、分かりやすくお伝えしたいと思っております。
4月4日(日)には、下記のタイトルでセミナーも開催致します。あまり堅苦しくない、参加側の緩やかな雰囲気で行う予定ですので、お気軽にお越しください。お席が少なくなっておりますので、ご希望の方はお早めにどうぞ。
葬儀サポートセンター福岡セミナー 「葬式は、要らない」は、本当か!?
葬儀サポートセンター福岡 小笠原



